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「人は誰しも偏っている」という前提で生きてみたら、意外と人生楽しいなって思えてきたよ

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"Pyrrhososma nymphula Luc Viatour" by I, Luc Viatour. Licensed under CC 表示-継承 3.0 via ウィキメディア・コモンズ.



ツイッターのタイムラインをみていると、毎日毎日、意見の相違でケンカのようなことが起こっている。
それをディベートとして楽しんでいる人もいるけれど、本気でキレて収まりがつかなくなる人や、精神的に参ってしまってる人もいる。

自分の意見を聞き入れてもらえるほうが、そりゃ気持ちがいいのだけれど、実際問題そうはいかない。
人はみな、育ちも違えば遺伝子も違い、食べているものも違うし仕事も違うし、みんな違う生き物だ。

だから、人は誰しも、どこかしらの方向に偏っていて当然だと思う。
何か言われようが怒ることもせず、傷つくこともせず「あなたはそう考えるのね」「あなたの中ではそう決めたのね」と思ったほうが、相手にとっても自分にとっても精神衛生上Sooo Goodかなって思う(子育てとか社員教育はまた別の話かもしれないけど)。

他人の意見に怒ったり傷つくのは、相手を尊重しないという意味でマナー違反なのかもしれないと思うようになってきた。

自分の考えと違う人に突っ込みを入れるぐらいならまだしも、相手を追い込むぐらいに自分の意見をいうのもマナー違反だと思う。
まあこんな人はツイッターとかネットでしか見たことはないし、ネットだからそうなっちゃうっていうのはあるのかもしれないけれど、現実にも一定数は存在しているのではないかとも思う。

こんなことを言っている私もまた「他人のことは極力配慮するべきだろう」という偏った考え方で、みんなみんな偏っているんだ、友達なんだ〜。

ときどきこの考え方のせいで、「気を使えない無神経な人、人を理解しようとしない人って意味がわからない。むかつく。」と腹を立ててしまうことがある。

だけど、「人生は自分本位で生きるべき。他人に過剰に気を使うのはおかしいよ。」という考え方の人からすれば、私の考え方は通じない。通じさせる必要もない。

人の数だけ生き方がある。考え方がある。偏りがある。
誰しもが偏りを持っているんだという前提で、私の何がおかしいの?という思考を捨てたら、人生わりとラクになったよ。

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